感動といったら、派手で華やかな心の動き、または分かりやすい喜怒哀楽ばかりに注目しがちであった。もちろん、そうでないものも確かにあるのだか、それらは今が次々と移って行く中で十分にはすくい採れずにいたような気がする。MOT、東京都現代美術館の企画展『新たな系譜学をもとめて』を見て、自分の内側で起こった思考や心の動きを、正確に明確な言葉へと置き換えることは時期尚早な気がしますが、やってみようと思う。 ※この記録では本企画展のパンフをおおいに参照しました。 私の記憶や解釈違いもあると思われます。拝読なさる際にはその点に十分ご注意お願い致します。 まず、なぜ、本企画展に興味を持ったのかです。これは率直即答で、長谷川祐子さんのロゴスにとてつもない興味を感じるからです。本企画展を知ったのはご本人のtweetに因ります。長谷川祐子さんのTwitterアカウントには本企画展の説明が並んでいます。Contemporary artはそのロゴスにいちばんの醍醐味があると思う。作品を通して何を考えてみたいと思っているのか、何が興味の中心なのか、またそれらはどういった手法で表現され、作品それ自体がどのような層(思考過程)を成しているのか、そしてその作品を通して制作者が伝えたい と思っている彼らの考えや意図、そしてその基礎や起源となった背景を知って初めて成立するものと感じます。つまり、それら抜きとなると種のない動植物、仕事のない毎日の様なものだろう。本来Artは言葉に表しにくい部分をその他の手段で表現するものと思いますが、そうは言ってもそれらをより深く理解する為に大切な部分がこれほど、ハッキリと明示してある事にまず感動したからです。本展示では各作家で個々の表現を試み、それらはグラデーションを持ちつつ、豊かなバリエーションとなってあるボリュームを作っていた。結果、十分な訴求力をもっていた! 野村萬斎さんは教育テレビのにほんごであそぼで知る程度でした。ですが萬斎さんの音声付きの舞台の映像を見て、狂言の芸術性の高さを知った気がします。説明によると、狂言の型は600年の時を脈々と経て来、その型を表現することで過去のいずれの当時へもトリップすることになる。それらはまぎれもなく萬斎さんの身体表現、感覚や記憶、知恵のルーツとなって現れていると考えられる。またその基礎があるからこそ、新し...